2025.08.25

 星野源のエッセイ「そして生活はつづく」を読んでいる。
 SNSで星野源の話題を出すとまぁいろんな人がTL上でわちゃわちゃ言い始め、自分もわちゃわちゃ言っているのだが、果たして星野源についてどこまで知っているのかと問われるとそんなに知らない。紅白の時にやらかしたぐらいか(星野源は無関係とみる向きもあるが自分はそれに同意しない。誰が歌うのよっちゅう話よ)、あと広告の件かな。彼の制作する音楽は素晴らしいとのことだが、自分は洋邦問わずあまりポップスに明るくないし、なんだか心理的に遠くで鳴っているように聞こえる。要は好みではないのよね。へーいいね、くらい。なので自分にとって星野源は重要でない音楽を作っており、無配慮で人を踏んでいるミュージシャンという印象である。その星野源が福山雅治のあれやこれやでどうたらこうたらという話題がまた出ており、なんかまぁそろそろ知っておくか(そしてちゃんと批判するか)という感じになった。あとC4P/C4Qの記事で星野源が取り上げられていたのを思い出した。
 ただ前述の通り、彼の音楽は好みではない、好みではない音楽を聴くのは苦痛なので、エッセイを読んでいるというわけ。いまのところ全然面白くないし、以下の引用部分ははっきりと不快でしたね。DVは暴力で相手を支配する行為なんだから人は不幸でも幸せを見つけるみたいな話に一般化すんなよ。こういうとこだよ。でもまぁ2000年代後半ってこういう文章溢れていた気がする。
「知人に、付き合っている彼氏から執拗な暴力を受けている女の子がいる。友人たちから事あるごとに「早く別れなさい」と言われるほど、高いレベルの DVだそうだ。  私がみんなと同じように「そんなに大変なら別れちゃえばいいのに」と言ったときの、彼女の言葉はこうだった。「だって私しか彼を更生させてあげられないもん」  そう言った彼女の目には、諦めと、無駄に強い自信があった。「でも、暴力ふるうとき以外は本当に、本当に優しいんだよ。この世にこんなに優しい人がいるのかってくらい優しいの」  書いているだけでしょんぼりしてしまう台詞ではあるのだが、こういう言葉を聞くと、本当に不幸な人なんていないのではないかと思えてくる。人間はどんな状態であろうと、その中での幸せを無理矢理にでも探し出し、それを糧に生きてゆく。」—『そして生活はつづく (文春文庫)』星野 源著 https://a.co/fnyAZm2
 星野源のエッセイはいまのところまったく面白くないが、「エッセイを読む」という行為自体はとても面白いなぁと思った。いろんな人のエッセイを読んで怒ったり笑ったりしようと思う。