クリスマスですね。クリスマスらしいことはまったくやっていない。クリスマスパーティは明後日なので今日は何もない日というかめちゃくちゃ雨降っていますね。クリスマスはイエス・キリストの誕生日ですね。カトリック教会だと24の夜から25にかけてクリスマスミサをやるらしいです。そういえばカトリックとプロテスタントの違いってよく知らなかったんですが、先日、息子が通うカトリック系幼稚園でイエス・キリストの降誕劇をやるってんでちょっと調べたら、なんかいろいろ違っててへぇとなりました。どう違うかは皆さんで調べてください。
全然クリスマスっぽくない話題。最近マストドンで流れてきたはてな匿名ダイアリーの記事です。まぁこういうところにまともな文章あんのかなという思いはずっとあるんですけどあるんだろうな。話題にならないだけで。内容としてはわりとしょうもないですが、なぜかこういう文章に啓蒙されてしまう人もいるので不思議。実際マストドンではそういう文脈で流れてきた。
大前提として、さまざまな創作を伴う作業はインプット・アウトプットを行き来するのはあたり前で、記事中で想定されるような「純粋な創作者/純粋な消費者」という分離は雑すぎる。相互に鑑賞したり、SNSで反応することを義理と腐してしまうのは、創作に必要不可欠な学習や交流の側面を切り捨ててしまう。
それに、作り手向けの市場なんて創作に限らない。一般的なビジネスのハウツー本なんていくらでもあるし、研修、ツールや外注など、あらゆる分野に「実務者向け」の商品・サービスは存在する。企業勤めの経験がある方なら覚えがあるだろう。問題があるとすれば「作り手向け」だからではなくて、誇大広告で釣り、提供価値があいまいだったり、検証が不可能なタイプだと思う、そしてこれは特定の界隈に限定される話ではない。
さらに、互助会的な「閉じた市場」は唯一の原因というより、外部へ、もしくは外部からの導線が弱かったり、SNSのプラットフォームの設計など複数の要因が合わさって生ずる状態だと思う。外に届きにくいから近い人同士で見つけあう確率が高くなる。作り手が多いからといって必ずしも発生するわけではない。たしかに、バズや収益目的だと外部の市場に接続が乏しいこの状態は地獄に思えるかもしれないが、そもそも創作の動機は多様なので、一律に地獄になるわけでもない。外部市場を嫌がってそこを選んでいる人もいるかもしれない。現象を雑に単純化して「みんな客になれ」なんて、ただの筆者の願望だろう。構造の説明にも解決策の提示にもなってない。もっと真剣に創作をやれ。そして、書いてて思ったけど、これ、石黒正数『ネムルバカ』にでてきた「駄サイクル」に近い話だわ。あれをそのまま受け取っちゃったような感じ。
最近はSlowcore + Post Rockっぽいのにハマっているというか、Labradfordにハマっている。昔もちょっと聴いていたが、あんまりピンとこなかったんだよな。自分の音楽体験はこんなんばっかだ。




