最近、友達からコーヒー豆をもらったのでドリップに挑戦。ミルも電動のおすすめのやつを買った。1回目は豆の量が少なすぎたのか色は麦茶でうっすらコーヒーの香りがするお湯、という感じだったが、豆の量を2倍にすると完全にコーヒーとなった。Vaundyくん、君もどうかね。お砂糖はいるかね。
 クリスマスも近いので息子へのプレゼントを購入。ライカムイオンモール内のトイザらスへ行ったのだが、おもちゃの棚がスカスカで全国のサンタたちはもっと早く行動していたのだなと思った。まぁいいだろ別に。トミカを収納できるボックスとトミカを4台購入。あとうろちょろしていたらゴジラの指人形を見つけたので自分用に購入。あとウルトラ怪獣のかわいいフィギュアのガチャガチャがあったので回した。ゼットンが三つダブったが無事全種類コンプ。ダブったゼットンの一つはクリスマスプレゼント用の袋に入れておいた。
木製の机の縁に、小さなフィギュアが横一列に並んでいる写真。左から、黒い怪獣(ゴジラ)、金色の三つ首ドラゴン(キングギドラ)、茶色の小動物(ゴモラ)、灰色の角のある生き物が2体(ゼットン)、灰色のサメの頭のようなもの(怪獣洗車)、黄色いロボットのキャラクター(キングジョー)、赤いモジャモジャしたキャラクター(ピグモン)。背景に黒いキーボードが写っている。
木製の机の縁に、小さなフィギュアが横一列に並んでいる写真。左から、黒い怪獣(ゴジラ)、金色の三つ首ドラゴン(キングギドラ)、茶色の小動物(ゴモラ)、灰色の角のある生き物が2体(ゼットン)、灰色のサメの頭のようなもの(怪獣洗車)、黄色いロボットのキャラクター(キングジョー)、赤いモジャモジャしたキャラクター(ピグモン)。背景に黒いキーボードが写っている。
 先月出したアルバム「波と身体のあいだで待ってる」をNina Protocolにもアップしました。結構エレクトロニカ系が多くて自分みたいな似非バンドサウンドはあんまりいない印象でしたがどうでしょうね。まぁBandcamp以外にもいろいろあるのはいいことだと思います。faircampはちょっと思ったのと違ったんだよな~。来年くらいにはStripe導入して自分のサイトから購入できるようにしたい。特定商取引法表記とかをちゃんと気をつければ何とかできそうではある。
波と身体のあいだで待ってる
沖縄には、海の向こうに死者の国(グソー)があると考える、ニライカナイというイメージがある。けれど、現代の感覚でまっすぐ海の先に視線を延ばし続けると、ぐるっと地球をひとまわりして、自分の背中へと帰ってきてしまう。そうなると、死者の国はどこか遠くにある場所ではなく、どこにも固定できない、すぐに指からこぼれてしまうような存在になる。 このアルバムでは、ギターやベースのノイズを寄せては返す波のようなものとして鳴らしている。 その中で、ときおり、あるいはほとんど常に、鳥の声や風の音が立ち上がってくる。風景の記録というより、波のあいだをすり抜けて近づいてくる「気配」として。そして、存在を強烈に主張する戦闘機の飛行音が耳を現実世界へと引き戻す。 『波とからだのあいだで待ってる』は、ノイズという波とそれを聴いている身体とのあいだに、ゆっくりと浮かび上がる死者たちと生き物たちの気配が静かに忍びよってくる作品です。 In Okinawa, there is an image called Nirai Kanai – the idea that the land of the dead (Gusō) lies somewhere beyond the sea. But if you keep extending your gaze straight out over the water with a modern sense of the world, your line of sight would circle the earth and eventually return quietly to your back. Then the land of the dead is no longer a distant place, but a presence that can’t be pinned down anywhere – something that slips through your fingers as soon as you try to hold on to it. On this album, the noise of guitar and bass is played like waves that keep coming in and going out. Within that swell, the voices of birds and the sound of the wind rise up, sometimes, almost always – not as a simple document of a landscape, but as a “trace” that weaves its way through the waves and comes a little closer. And then the roar of fighter jets, insisting on their own existence, pulls the ear back into the real world. Waiting Between the Wave and the Body is a work that lets the traces of the dead, and of living creatures, slowly creep in between the wave of noise and the body that listens. Published on Nina.
波と身体のあいだで待ってる
 Pan Americanっていうアーティストが結構よかったです。ドローン・アンビエント系なんですが、スロウコアっぽさもある。ポストロックの中でもかなり好きな感触。

 鬼滅の刃を読み終わった。面白かったですね。化け物となってしまった人間 と人間という古典的な少年漫画。サブプロットとメインプロットがちゃんと絡み合っており、一貫して目的がブレないのがよかったですね。Bleach、NARUTO、D.Gray-manと好きなジャンプ漫画はそこそこありますが、ここまですっきりとしたストーリーの少年漫画は初めてかもしれません。圧倒的に読みやすい。D.Gray-manって文字を書いてて思ったんですが、主人公、竈門炭治郎の描写はD.Gray-manのアレン・ウォーカーにかなり近いなと思いましたね。なんか「善い人」という面をプッシュされてる感じが。ただ、アレンが自身の出自の謎に苦しまれる反面、炭治郎は出自によって勇気づけられるという過去に対して正反対の反応をとっていますね。というか、ジャンプ漫画的にはアレンみたいな方が少ないか。NARTUTOとかそうだけど、だいたい親の想いなんとかかんとか〜つって強くなりますもんね。D.Gray-manまだ完結してないからわからんけど。
 
 Pullmanが24年ぶり?に新作を出すらしい。事件だろ。
 Pullmanはアコースティックなポストロックバンドです。エレクトロニック・アコースティックというより、フリーフォーク、オルタナカントリーって感じ。インスト。メンバーがすごいんすよね。スロウコア〜ポストロックのスーパーグループって感じ。1stと2ndはセッションを中心に作り上げて、たしかにワンループ的なアイディアを展開しているような曲が多いですが、そっと色を添えるようなアンサンブルが気持ちいい。初期Gastr del SolやJohn Faheyと比較されてることが多いですね。確かにフォーキーかつちょっとアグレッシブな曲が多いですが。バンド感が強いのでそこまで似ているとはあんまり思わない。アンサンブルがだいぶ違うと思います。1stはちょっと似てるかな。
 最新作は現在2曲のみ公開されています。2ndとはまたちょっとちがった作風でフォーキーさが減退し、エレクトロニックなテクスチャ感が前作よりも前に出てきている印象、というか、かなりBundy k brownのぽさが出ている感じ。ちょっとDirections In Musicを思い出させる瞬間がありますね。制作体制がスタジオセッションからリモートでのレコーディングへ変わったのが影響しているんでしょうか。他の曲も楽しみです。
 
 制作日誌、ベースとギターを入れて3曲デモができました。前回の反省として、ドラム入れないとアレンジ決まらないというかむずいということがわかったので早めにスタジオ予約しようと思いました。

 謎に発熱。ジキニン飲んで寝てたら治ったがまだ気配を感じる。息子も体調良くなさそうである。季節の変わり目…でもないかな。まぁとにかく風邪の流行る季節ですね。
 梨「かわいそ笑」を読み終えた(2回目)。やっぱ面白い。作者が何をしたいのかがわかるホラーは楽しい。Kindle Unlimitedで読めるのもいいですね。
 ホラーというエンターテイメントは、基本的には不本意に酷い目にあい、生命が脅かされるような事態に追い込まれる人物、そういった事態に追い込む表象(人に限らない)が存在します。解釈の余地が大きいネット怪談的なものでは、読者の想像の中で、前述の人物と表象はある「皮」をかぶった形で生まれる。本来それは、なんとなく文章と個々の読者の経験から導かれて、普遍的でないはずですが、本作はその皮を特定の人物へ誘導し、被害と加害を読者の数だけ再生産するというホラーでした。つまり、まさに読者であるあなたが、特定人物を呪っているんですよ!バーン!みたいな感じなんですが、これってネット怪談的なものから生まれる、構造的な呪い、言ってしまえば特定表象への偏見の強化をあからさまに書いた作品だと思うんですね。結局、作品自体は呪いの外側には出れていないわけですが、筆者自身の読者へ向けた悪意ある書きぶりが、呪いの共犯であることを示しているようで素晴らしいと思いました。出版物という筆者の立場の強さを前提に考えれば主犯はあなたでしょうとも反論したくなりますが、それは自身が共犯であることも暗に認めていることでもあります。狡猾な作品です。本を開いた時点で、すでに仕組まれていた、というワケ。悔しい。別作品も読んでみるか。
 最近はTarentelっていうポストロックバンドをよく聴いてます。即興性が強いです。あんまり聴いてて楽しい感じでもないんですが、なんか、聴いちゃうみたいな作品ですね。なんというのかな。アイディアがちょっと気になるのかな。

 ついに暑すぎて冷房をつけた。天候が12月だが陽気すぎる。窓から陽が差しすぎていて部屋の中が暑い。外は涼しいのに。窓を開けるのは風が強すぎて埃がすごいのでナシ。
 放送禁止6 デスリミットを鑑賞。なんだかな。シンプルに面白くないですね。今年は放送禁止シリーズを順に観ていくということをしていたが飽きた。やめやめ。今年はモキュメンタリーを中心にホラー映画や配信ドラマを観ていましたが、自分には合わない。散々この日記で書いていてあれなんですけど、やっぱその仄めかすだけの演出と小道具で、考察と解釈は視聴者にお任せ〜ってのはまぁつまんないですね。まぁTXQ フィクションでも観てこの辺は終わるか。次は韓国のホラー映画を中心に観ようと思います。
 最近はホラー小説もチラチラ読んでいます。小説の方が色々面白いなと思うんですが、モキュメンタリーと称し、ネット怪談をあつめて云々みたいなのは飽きますね。近畿地方の〜とか。雨月の方が面白いと思う。直近では梨のかわいそ笑を再読しています。ちょい前に読んだ井上宮の骨の子供も面白かったですね。
 明日聴く予定のアルバム

 昨日夜に北海道、東北で地震があったとのニュースを今朝見ました。みなさまのご無事を願っています。
 自分の好きなフィールドレコーディング・アーティスト Glauco Salvoのライブ映像。良い。
Video preview
  Field Studiesというプロジェクトをやっていてとてもいいですね。
 Bandcampのプレイリスト機能まだ使ってないし、使ってる人も見たことないんだけど…と思ったらアプリからしかできないのね。ええ~。
 
 最近、心霊マスターテープ2を観たんですが、とてもよかったんですよね。念写によって生み出された、見たら死ぬ写真をめぐる、ホラー制作者、愛好家たちの群像劇って感じです。モキュメンタリーと言われていますが、ホラーではなくミステリーですね。雰囲気としてはTRICKをめちゃくちゃチープにした感じです。全6エピソード。
 正直、前半と中盤に関してはそこまで面白くないのでぼんやり観ていたんですが、終盤に黒幕が主人公たちと対峙する中で、飛び出したセリフがグッときました。
自分の命懸けて、この世に何か生み出したことある?良いものでも悪いものでも「これ」はそうなの。
 「これ」というのは「見たら死ぬ写真」のことです。主人公たちは、普段は様々な媒体で心霊ドキュメンタリーやホラー映像紹介といったホラー作品を制作する方々なんですが、呪物を一つの創作物として扱う態度が欠けていることを指摘されたんですね。ホラーというのはエンターテイメントの一つの形態として長い歴史を持ちますが、その中で様々な事象や属性を恐怖として描くことで対象の尊厳を貶めた事実があります。一例として、構造的な弱者を怨霊として表彰することや、因習村があげられるでしょう。そうした表現の系譜の中で、呪物は、最もインスタントな兵器としての側面が描かれ続けてきたわけです。その恐怖を描くこと、対象を恐怖として扱うことの責任をホラー制作者たちは撮影対象の側から問われている、と自分は思いました。これってモキュメンタリーの形式でしか問えないと思うんですよね。肝心のシーンはめちゃくちゃ芝居っぽくてマジで興ざめでしたが、その点を差し引いても、一つの問を残したとても面白い作品だと思います。ただ、2では登場人物紹介がほぼ省かれてしまっているため、そのあたりを知るためには1をみる必要がありますが、1は本当に面白くないのでまぁなんというか、悩ましいですね。
 自分は常々、最近のホラー・モキュメンタリーに対してリアル(?)なホラーを追求するあまり、本当っぽさとほのめかすような演出だけに寄りかかっているんじゃねーのという感想と不満を持っていたんですが。心霊マスターテープ2はそのあたりをかなり満たしてくれた作品でしたね。よかったー。ていうか今年は結構映画とか配信ドラマとか観てるな。映画館も一回行ったし。
 
 今日は自転車で城址まで行き、フィーレコ。この城址は沖縄に戻ってから何度か行ってるんだけど、最近、どこに通じてるのかわからない階段をいくつか見つけてワクワクしている。

 師走。時間の流れがおそろしい。駆け足でいろいろやり始めていますが、全然だめそう。ジム通いも続けられなかったですね。サボりというよりかは仕事にリソースを割きすぎたことにあります。ダリ~。日記書いていた期間は続けられていたので、また再開できたらいいな。
 先日、幼稚園でクリスマスの劇発表があり観てきました。劇の内容はイエスの降誕劇にちょっとオリジナルの冒頭を加えたもの。写真・動画の撮影は禁止で保護者は後からDVDかブルーレイを購入する感じです。息子は聖歌隊で一生懸命歌ってましたね。劇中に泣き出したり走りだしたりするかも…と心配していたけど、ちゃんとやっていて感動しました。
 Bandcamp Fridayで買ったもの。シカゴのバー兼ライブ?会場、Empty Bottle で行われていた即興シリーズをまとめたもの。いわゆるインプロ的な演奏も多いけど、スタンダードな様式に則ったジャズ演奏も少し含まれている。かなりよい。
 最近は相変わらず曲を作っている。この前の作品でジャズとフィーレコを合わせた曲が個人的にかなり気に入っているので、同じようなアプローチでスロウコアやブルースと合わせてみようと思う。テンポを遅くすればポスト・ハードコアもいけると思う。最近のにせんねんもんだいっぽい感じもいけると思うんだよな。

 2025年11月27日、アルバム「波と身体のあいだで待ってる」をリリースしました。
 朝の時間を使ってコツコツ制作していて、1日に使えるのが1時間くらいだったんで、なかなか進まずにもどかしい気持ちもあったんですが、まぁなんとかできました。なんだかんだ5~6ヶ月くらいかかった。
 最初はファンクとかレゲエっぽい作品を作ろうと思っていたんですが、技術的に全然歯が立たずに撃沈。2025年に興味のあったモダンジャズ、ドゥームやストーナー、ドローン・ミュージックに軸足を置いて改めて曲を作り直したりしました。あとは曲の並び順とかもっと考えられたと思うんですけど、まぁまぁいいか。満足しています。
 ジャケについては前作まではデジタル上でのコラージュや3DCGだけを用いて作っていたんですが、今作はキャンバスに絵を描いてそれをiPadで画像として取り込み、それをBlender(3DCGソフトウェア)上で使うみたいなことをしています。3Dスキャンで取り込むのも面白そうだなと思いました。
波と身体のあいだで待ってるのジャケ。目と液体は3DCGです。
波と身体のあいだで待ってるのジャケ。目と液体は3DCGです。
 次作は2026年の6月に出す予定です。来年の話をすると鬼が笑うと言いますが、他にやることもないんで。ぼちぼちやっていきます。あーでもポケモンZAちょっとやりたいか。

 SNS上での藤井風に対する批判について、疑問を持ちつつもとくに言及していなかったのだが、先日、あまりよくない形での反論をXで見かけたので、ちゃんと文章に書いておこうと思いました。当該ポストはこちらです。藤井風への批判に反論するにとどまらず、サティヤ・サイ・ババ(以下サイババとします)への様々な批判を矮小化しています。とりわけ性虐待への言及部分に十分な注意が払われていない。一般に性加害は閉鎖性の高い状況で行われるため立証が難しい領域です。真偽が確定していないのであれば、別の論点を有利に進める材料としてもちだすべきではありません。それは被害当事者一般の萎縮や二次加害にもつながりえます。
 私自身はサイババへの批判は認められるべきと考えていますが、趣旨とずれるため、以下にいくつかの記事を貼っておきます。
 サイババの性加害についてはユネスコも懸念を表明し、2000 年にサティヤ・サイ教育研究所と共催予定だった会合から撤退したと記録されている。
 イギリス議会では早期動議による注意喚起が提出されている。
インド社会の中でもサイババに対する批判はある。
 一方で藤井風に対するSNS上への批判についても疑問があります。そもそも彼の宗教観は週刊誌によって暴露されたものであり、彼自身が特定宗教へのメンバーシップを公的に明言したこともないし、特定団体・儀礼への参加を明示的に促した事実もありません。ネット上ではいろいろな情報が流れていますが、一次情報は少なく、客観的に確認できるのは、アルバムタイトルで使用されている文章がサイババが用いた標語と一致、歌詞の中にサイババの教え(ハイヤーセルフなど)といった創作上の引用・参照にとどまるのではないでしょうか。藤井風自身もインド哲学からの影響をインタビューで認めています。参加の呼びかけ・誘因・入会/寄付への導線が確認できない現状では、これだけをもってステルス布教などといった批判はいき過ぎに思えます。
 もちろん、前述したサイババにまつわる批判と商業ポップスとしての公共性をふまえると、出典や注釈が明記されていれば受け手が自身で距離を測ることができ、安心できる設計だと思います。IIYY Projectという一部ファンがそれを求めている動きもあったそうです。現在は運動の中心となっていた方のSNSアカウント含め関連文書も削除されてしまっており、活動の全貌を知ることはかなわないが、どなたかスクショや魚拓などをもっていたら教えてほしい。

 The Blue Envelope について、このSubstack(これ以外の書き方がわからない)は以前C4P/C4Qという創作にかかわる興味深い話を掲載しており、自分もそれに反応して文章を書いたりした。それについてはここを読んでほしい。
 そのまま購読していたのだが、先日配信されたThe Blue Envelope #19を読み、いくつかの批判点があったため、本稿を書いた。

注意(ボイコット推奨ではありません)

 まず、本稿はCANTEENならびにBoiler Roomへのボイコットを推奨するものではないと書いておく。それはボイコット自体が生活を営む上で選択を削る行為であることは避けられず大小あれども行為者の負担になるためである(ただ意義も効果もある)。では本文に進む。

はじめに

 本稿は、The Blue Envelope #19(以下#19とする)がKKRの実質関与を小さく見積もり、ボイコットを個人倫理に還元している点を批判する。ボイコットは企業の判断を変えるための圧力であり、資金・統治・評判への作用で評価すべきだと思う。KKRの立場(変えられる権限/得られる利益)を過去の調査や関連ニュースをふまえこの軸で見直す。

イスラエル軍事・入植経済についてKKRの関与を過小評価

 #19の冒頭を引用する。
Boiler Room運営のSuperstruct Entertainmentが投資会社KKR Investmentsに買収されたことによって、イスラエルのジェノサイドを含む違法入植や軍需産業に間接的に関与することとなり、我々はどのような態度を取れば良いのかの議論を生んでいる、いった感じである。
 KKRとイスラエル軍事・入植経済への具体的な関与と、それに対する文化的ボイコットの是非、というところだが、#19ではなぜか資本主義ゲームや株式保有にまで話を広げることで個人の倫理に還元してしまい、問題になるはずのイスラエルの虐殺に対する構造的な加担や実際に起きている利益の循環の十分な検証がなされていない。#19ではKKRのポートフォリオのみを参照しているが、それでは不十分である。KKRならびに同社が投資する事業への批判は多くの蓄積があり、それら先人の調査や批判を参照しないのは背景を語る上で適切な態度とは言えない。
 KKRがイスラエルの入植経済への関与をしている事実の一つとして、KKRが大口の出資者であったAxel Springerと、広告事業のYad2について言及すべきだと思う。Axel Springer傘下Yad2は入植地物件の掲載が指摘され、「違法な占領からの利益化に当たる」との申立や批判を継続的に受けてきた。入植地経済への関与があることは争点として妥当だ。結果的にイスラエルによるパレスチナへの人権侵害に加担したとしてヨルダン川西岸地区に住むパレスチナ人5人によってAxel Springerへの規制を求める苦情が出されている。この苦情はドイツのBAFAに却下されているが、パレスチナ側の弁護士は異議申し立てをしている。
 2025年現在、メディア会社であるAxel Springerは現在別会社が株を保有しており、KKRは出資していないが、もともとAxel Springer が持っていた分類広告(クラシファイド)事業の株をKKRとカナダ年金が90%(内訳は不明)所有している。この中には当然Yad2が含まれており、現在はAVIV Groupが運営している。AVIV GroupはKKRのポートフォリオからも確認できる。以下のヒューマンライツの記事からタイムラインが参照できるため、詳細は確認してほしい。
 余談だが、先日、KKRはYad2の売却手続きに入ったとのこと。売却が成功した場合、KKRはさらに利益を得る。成約は未確認。
 
 また、#19内では誤った比較、評価軸のブレ、調査不足による記述がある、これも過小評価へ寄与していると言える。あまりこういった形での言及は好ましくないのだが、逐一引用して批判を述べていく。
例えばおれは儲けるためにS&P500の投資信託を購入しているが、S&P500を構成する企業のブランディングが直接的に自分に影響することはない。規模は違えど、良くも悪くも、資本主義ゲームに則って、発行された株式を取得しているだけで、以上でも以下でもない。
 企業への人事・予算・買収へ関与できない、市場全体の動向を受け身でかかわるしかないインデックス投資家と、企業を買収し、能動的に関与するPEファンドを同列に置くと、PEファンドの権限と責任の違いが見えなくなる。KKRは(やっているかどうか、やるかどうかはべつとして)Boiler Roomというブランドに能動的にかかわることが可能である。それにグループ内に還元されるBoiler Roomの利益や評判(ブランディング)は、小口投資家の配当益の比ではない。イスラエルの軍事・入植経済への具体的な関与をどう評価するかといった問いに、この比較はPEファンドの役割を過小評価する機能を持ってしまっている。#19内ではこの前段で「親会社であるKKRは巨大なPE投資企業である」とし、多くの会社を買収・売却していることを認識している記述もあるため、もし意図した比較であるならば説明が欲しい。
 
露骨に関連しそうなのはHENSOLDT(独・防衛エレクトロニクス)やNovaria Group(米・航空宇宙/防衛部品)とかであろうが、食い扶持に関連するとはいえこれらの企業が戦争やジェノサイドを肯定している事実はない。
 問題となっているのはイスラエル軍事・入植経済による具体的な関与であるはずだが、上記の引用箇所では態度の表明のみで判断している。肯定/否定が論点であるならば、そもそもCANTEENならびにBoiler Room の件が問題になることもない(両社とも親パレスチナを標榜している)。機器供給や入植経済への商流といった観点での関与があるかどうか重要である。そしてそれを立証するのは企業側にある。食い扶持を稼ぐかどうかにかかわらず、虐殺や違法な入植経済に関与して利益を得ることはあってはならないためである。HENSOLDTに関しては、2022年春にKKRはHENSOLDTの全株式を売却しているが、HENSOLDTは同年夏にイスラエル企業に対して防空レーダーの提供を行っている。株式売却後の公表のため、KKRの関与は現時点では不明であるため、当該契約をKKRの実績とただちに結び付けるのは適切でない。ただ、HENSOLDTがイスラエル向け装備を扱う事実は示される。
 Novaria Groupに関しては現時点でもKKRがオーナーである。イスラエル国防省関連との取引は公開情報からは見つからなかったが、Novaria本体や傘下のブランドであるLong-Lokはイスラエルの販売代理店Relcom Componentsと契約していることが問い合わせ先に記載された情報からわかる。Relcom Componentsは軍事・防衛に関する流通を公式HPにてうたっているため、エンドユーザにイスラエルの軍事・防衛産業を含む状況証拠がある。また、Novaria Groupに対するS&Pの格付けにおいてイスラエルやウクライナの紛争をはじめとする地政学的な緊張感の高まりにより、需要が高まっているとの記載がある。個別の案件に関しては不明だが、軍事・防衛産業需要の高まりが業績に波及しているのは確実であるため、前述のイスラエルの軍事・防衛市場との取引があることをふまえると、虐殺へ加担していないことをKKR、Novaria Groupは立証する必要がある。ないことを証明するのは悪魔の証明という反論もありそうだが、取引履歴を調査すればいいだけで普通の企業であれば可能である。
 
WAIFUが話題に出しているGTRとかGuestyとかはただ単にイスラエルの会社なだけである。イスラエルの企業であるから、という理由で叩くのは、それ自体がレイシズムになりかねない。
 調査不足がうかがえる。確かにGTRについてはデジタルインフラを整備するためのデータセンターで、ここへの投資は軍事産業への関与とは言い難い。しかし、Guestyに関しては疑問が残る。入植地関連企業のリストに記載はないがGuestyが提供している管理ツールを使用しているAirbnbやBooking.comが入植地の物件を掲載しており(Guestyの公式HPから取引実績があることを確認できる)、親プラットフォーム(Airbnb/Booking.com)に入植地掲載がある以上、Guestyにも間接リスクはある。積極的な関与の証拠は未確認だが、掲載ポリシーとKYC(顧客確認)の開示を求めたい。
 #19には以上の点によってKKRの軍事・入植経済の関与を矮小化してしまっている。ポートフォリオのみならずいままでの調査や関連グループの情報を加えて、改めて検証が必要だろう。また、後半にCANTEENならびにBoiler Roomのクラブカルチャーへの貢献を述べることで結果的にアートウォッシュとして機能してしまっているように思う。文化的功績の列挙は尊重しつつも、関与の評価は行為(資金・統治・評判)でこそ判断されるべきで、そこを外すと善い物語がアートウォッシュとして働いてしまう。恐縮だが自分としては#19全体のリライトが必要であると考える。

抗議運動としての役割が欠如したボイコット観

 こちらに関しては#19のみの問題ではない、おそらくボイコットが個人の倫理が最適化されるための手段として多くの人に捉えられてしまっている節があるようで、#19内でもその誤った前提を受け入れてしまっているため、最も重要な、抗議運動としてどう機能するか、どう運用すれば機能するかといった重要な検討へ到達していない。ボイコットは我々消費者の要求を企業側へ通すための抗議運動である。ボイコットにおける個人のイデオロギーの表明は運動の結集(連帯とは言わない)には有用だが、評価軸の主役ではなく付随する効果と考えるべきだろう。評価すべきは資金・統治・評判に対する作用である。
 あえて書くが、ボイコットにおいて明確に重要な要因となるのは、個々の生活環境であろう。ボイコットとは生活を営む上での選択肢を狭めるものであり、各々の生活環境によって負担が異なる。例えば、一口にBDS運動に参加するためマクドナルドをボイコットすると言っても、様々な飲食店へアクセスが可能な場所に住居がある方と、近くにマクドナルドしか飲食店がない場所に居住している方では、後者は外食の選択肢がなくなってしまうため負担が大きい。ここでは地理的な観点のみで負担の大小を語ったが、金銭的な観点も当然かかわってくるだろうし、何が要因かは他者が推測できるものではない。「手打ち」は、目的、制度、負担の三者の折り合いで生じる。もし、ボイコットを検討する上で三者のせめぎあいが問題となるなら、別の手段を選択することも可能である。自分が愛用している製品を生産している企業に、ある社会問題への影響について抗議文を送りつけるのはまったく矛盾しないし、SNSでネガティブキャンペーンをすることも問題がない。

よりよいボイコットのために

 最後に、CANTEENならびにBoiler Room の件について、恐縮ながら自分からの提案である(#19とは若干関係なくなってしまい申し訳ない)。個人の負担とボイコットの効果を比較し、個々人が妥当かどうか自身で検証できるようにするため、企業へ「要求」することも、ボイコットに必要な態度であると考える。(くどくなってしまうが、私たちにはボイコット以外の抗議手段も存在する。目的はビッグマックを食べないことでもBoiler Roomへ参加しないことでもない。企業に要求を通すことである。)
 親パレスチナ企業を標榜しているCANTEENならびにBoiler Roomへ自分が求めるのは「親会社に利益は直接わたらない」「ブランドの独立性は維持される」といった第三者が検証できないようなことではなく、「どのような利益が親会社へ渡るのか」、「Boiler RoomとCANTEENが協業することでブランドの価値はどのくらい上昇するか」である。前者に関しては言うまでもなく、後者に関してはBoiler Roomのブランド価値が上がることで企業価値も上がり、結果的にPEファンドであるKKRの売却益上昇につながるためである。どちらも消費者自身がボイコットという行為を各々検討するために必要な材料となると考える。
 以上、資本主義の制度の中で立ちつくすだけでなく、プレイヤーの一人として行動することの参考になれば幸いである。
 
 めちゃくちゃ長文になってしまった。皆さま、よりよい抗議運動を👋
 

 音楽制作、気に入らないものはすぐに録り直すという方針に切り替えたら進むようになった。進みすぎて予定より曲数が揃ってる。そろそろドラムを録りたいけど、なぜかいつも使っているスタジオが盛況で予約がなかなかできない。別のところで録ってもいいのだが、機材チェックするのが面倒くさい。めんどうくさいよ。アートワークもどうしようかな。まだまだ決めないといけないことがたくさんある。
 浦添西海岸への軍港移設に反対するために公開された方法書への意見書を書いた。読まないといけない資料が結構な量だったので、ざっと読んで問題になりそうな点を列挙。Chat GPTを使用して妥当性の検証。さらに関連する記述や資料を探させ、こちらでチェックし文章に盛り込む。またChat GPTで妥当性を検証…ということを繰り返して行った。生成AIを使用していパブコメや意見書を書くことに対して否定的な意見もあるが、自身の問題意識が論理的に記述できれば問題ないと自分は考えている。ガッツリ使ったのは今回が初めてだが、Chat GPT thinkingはかなり読み違えるため、「この資料を読んでパブコメを書いて」といった指示のみだとまともな文章にならない。試しにやったところ、那覇港湾(移設元)と浦添港湾(移設先、新規建設)を逆に扱っている箇所が頻発した。なので、自分が読んで問題点を抽出する、といった前作業を作業者自身でやった方が確実だと思う。まぁ当たり前体操である。thinking以下のモデルや無料版ではやっていないが、おそらく厳しいのではないかと思う。
那覇港湾施設代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書への意見書
那覇港湾施設代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書への意見書Text 方法書はこちらから縦覧可能。那覇港湾施設代替施設建設事業|基地の負担軽減に関する取組|沖縄防衛局の取組|沖縄防衛局移設を伴わない返還の検討要請 方法書は事業の種類を公有水面の埋立てとし、実施区域・規模(約64ha)を特定し返還のみの選択肢を事実上排除している。これは配慮書段階で本来求められる複数案の比較(位置・規模・配置を含む)の趣旨に反する。1996年SACO最終報告は「浦添埠頭地区への移設と結び付けた返還」をうたっているが、これは二国間の政策合意であり、環境面・地域計画面での最適解を永久に拘束する法規範ではない。環境影響や社会的費用の高騰が見込まれる現況の下、返還のみ(移設を伴わない返還)の妥当性を国内手続で再検討すべき。 IPCC AR6等が指摘する海面上昇と極端気象(台風・高潮)の増大は、日本沿岸、とくに琉球弧の外洋影響下で顕著である。新たな長大防波堤・大面積埋立地を今後半世紀以上にわたって保全・補修することは、気候適応・財政負担のリスクを増幅する。既存用地の返還による復元・低影響利用の方が適応策として合理的である。 2022~2023年にかけて「位置・形状」について関係機関で調整・合意したとされているが、事業全体費用・ライフサイクルコスト・代替案比較の公開は限定的。返還のみのケースも含めた費用対効果・リスク評価の全面開示を行わずに移設を既定路線化するのは、説明責任を欠いている。「那覇港湾施設代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書〔要約書〕」への意見以下該当箇所について、検討中・調整中といった記述に留めるのではなく、複数のシナリオを用意したうえで影響予測を行うべきである。とくに埋立て・海中仮置きは、資材・発生土の搬入経路や仮置き管理の差で濁り・廃棄物リスクが大きく変動するため、詳細計画と監視の具体化が必要。2-4/PDF p.9(対象事業の規模等の箇所に「付帯施設(橋梁)、浚渫、作業ヤードの規模等は検討中」)。6-9/PDF p.326(作業ヤード〔埋立て15ha・海中仮置き〕はいずれも「関係機関と調整中」、「調査地点等を変更する可能性」)。 以下該当箇所について、慶良間など外洋性の場を対照にすると、水理・地形が異なり系統誤差の懸念が生じる。近接かつ条件似ている多重な対照設定を検討すべき。6-60/PDF p.377(表6.2.10-2(7)「対照海域調査地点の設定根拠(サンゴ類)」)。 以下該当箇所についてフォトモンタージュ等で予測するとしているが、眺望点/景観資源の選定基準と住民参加の反映が結果に大きく影響する。基準公開と第三者レビューを実施すべきである。6-81/PDF p.398(表6.2.15-1(2)の「予測の基本的な手法」にフォトモンタージュ法等を明記)。 「第6章 対象事業に係る環境影響評価の項目並びに調査、予測及び評価の手法」への意見 長期間にわたる工期(少なくとも9年)内での環境評価に関する運用が数値化されていない。濁度が閾値を超えた場合は作業を停止する、工事騒音がXdBを超えた場合は工法を変更するなどといった、定量トリガーによる運用がなされるべき。そのためには数値基準の明文化が必要である。 多くの項目で「標準的な手法」を選定と明記。浦添西海岸固有の水理・海砂動態・群集構造に合わせたローカライズが必要である方法書全体への指摘 方法書の評価項目は、大気・騒音・水環境・生態系・景観・廃棄物・温室効果ガス等に整理されているが、港湾運用に付随して通常想定されるリスク(航行安全・船舶交通、船舶・荷役に伴う騒音・照明、油濁・化学物質流出時の拡散、維持浚渫に伴う濁り・底質再浮遊、港内交通増加による累積影響 など)を独立の評価項目として位置づけておらず、要約書・第6章目次に列挙された選定項目(6.2.1~6.2.19)を見ても、「航行・運用安全」や「船舶運用由来影響」等の明示がない(要約書・第6章目次 6.2.1~6.2.19参照)。 また、本事業の対象事業の種類を「公有水面の埋立て」とする記載、並びに付帯施設(橋梁)・浚渫・作業ヤードの規模等が「検討中」とされている現状から、港湾運用段階の具体的条件が方法書段階で十分に提示されていないことが読み取れる(要約書 2.2.1「公有水面の埋立て」、2.2.3「規模等は検討中」)。 さらに、主務大臣意見への事業者見解では、「準備書において予測・評価を行った上で所要の環境保全措置を講じる」「事後調査の実施・結果の公表に努める」等の枠組みは示されているものの、運用段階における定量的な管理トリガー(停止基準・工法切替基準・公開頻度等)が具体化されていない(第5章 表5.1-1「(3)環境保全措置の検討」「(6)事後調査等」等)
那覇港湾施設代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書への意見書

 久々にがっつりと仕事を疲れてしまった。夕方ごろに家を抜け出して海を見に行った。夕陽がきれいでした。犬のうんち落ちてたけど。
西海岸の夕陽
西海岸の夕陽
 

 ようやくのどの痛みが引いてきている。
 仕事しつつ塩田明彦監督作品「害虫」を観た。前半の万引き少年との友情や交流も危うさと隣り合うジュブナイル的な物語を展開しつつ、後半、Number Girlのi don’t knowが流れた時だけめちゃくちゃアクション映画のダイナミクス(修行シーン的な)が入ってきてよかったし、火炎瓶を友達の家に投げるシーンも必然性が語られず、ちゃんと伏線があってよかったのだけど、ラストが……なんでそうなるのよみたいな……。一番いやな終わり方でしたね。とりあえず性風俗産業に「落とし」てしまえば贖罪でしょみたいな制作側の浅慮が透けてしまって残念でした。安易な ”救済としての堕落”。台無し。大人の責任から目を背けさせている。こんなんなら爆発オチでよかったですよ。
ただサチ子は自分が悪いことをやったと自覚して、それを自分で引き受けようとする。だから最後、奈落に落ちていく道を自ら選ぶ…。そういう人は魅力的だなあと思います
 中学生を描いているって自覚がなさすぎるのでは……。
 
 
 
 

喉の痛みが引かずイライラ。うーんそろそろジム再開したいが、明日からかな。

 喉がまだ痛いが、気力はほぼ回復した。回復しすぎて夜寝つけず…。というか寝室にスマホ持ち込んだのが敗因か。そのせいで昼過ぎから19時前まで寝落ち。
 ドット絵にハマる。
オオベソオウムガイのドット絵
オオベソオウムガイのドット絵

 ようやく熱が下がる。しかし喉の痛みが強い。うーんこれはかかりつけの耳鼻咽喉科に行く方がいいのかも。朝起きて早速散歩へ。カッコよすぎる雲を見た。巨大キノコかよ。
海の上に雲が縦に伸びている。積乱雲の一つでかなとこ雲と呼ばれる
海の上に雲が縦に伸びている。積乱雲の一つでかなとこ雲と呼ばれる
海の上に雲が縦に伸びている。こちらはもう少しカサの部分が広がっている
海の上に雲が縦に伸びている。こちらはもう少しカサの部分が広がっている
 惚れ惚れするなぁ。調べたら積乱雲の一つで、かなとこ雲と呼ばれているらしい。
 星野源のエッセイを読み進める。次は「いのちの車窓から」。この辺りの星野源が自分のイメージする星野源に近い。自分の半径nメートルに起こったことを大事にし、世の情報から隔絶できることの特権性に無自覚。theエッセイって感じである。書いている場所がホテル最上階のバーだったりするだけで。人気者になっている。

 熱が下がらず、解熱剤を飲んでも37℃中盤で下がり止まってしまう。できれば36℃台まで下がって欲しい。気力は回復しているが身体がまだ。みたいな状態なのでKindleで本読むか、YouTubeで動画見るかくらいしかできない。散歩に行きたい。グラタン食べたいな。
 

 発熱。38℃。ぐぬぬぬぬぬ。息子から風邪うつされるのが完全に恒例に。終わりだよ。
 病床でやることもないので星野源のエッセイを読み進めているが、インセル/ミソジニー感が強くて読むの辛くなってきたし、基本的に知らないドラマの話が多いのでつまらない。音楽制作の話もあるが、そもそも星野源の音楽にあまり興味ないのでワクワクしない。なんでこんな本読んでるんだ。

 熱っぽいが熱はなし。しかし完全に嫌な予感がする。息子を受診させるために耳鼻科の予約へ。実のところこの耳鼻科には予約システムがないのだが、来院し受付時に診察の時間を指定できる。公式の開院時間は9時なのだが、職員は8時前には出勤するため、大体7時45分から受付可能なのだ。わかるかよ。それは予約ではないんでしょうか。帰りに車同士の交通事故の瞬間を見て引き締まる。
 星野源のエッセイ「蘇る変態」を読んでいる。本当は「働く男」の方を読みたかったのだがKindleにないため後まわし。文章が上手くなっているというか、大人びた感がある。そして〜の時のおもしろブロガーみたいなノリはほとんどない。扱ってる題材はあんまり変わっておらず相変わらずのインセル/ミソジニー感はある。スレイヤーズを取り上げている回があった。乙一もそうだったが、一回りくらい上のちょいオタク男性はみなスレイヤーズを読んでいる気がする。
 音楽の話ってなかなかできないなと思う。なんというか、ある曲についてどうこう書いてもつまらない。人のレビュー等々読むのは好きでこう書けたらなと思うこともあるのだけど、ひとえに筆力、理解力不足だとは思う。パーティクル感が〜とか、緊張感が〜即興っぽいアプローチが〜云々書いてみたとしてあんまりおもしろくないのよね。今はもう一文だけぺっと書いて、リンク貼るから聴いてくれやという感じでやっている。昔はもうちょい意欲的でBandcamp Fridayで購入した音楽の感想を書くぞ!とかやってたりしたのだけど(そして挫折)、やっぱこういうのは訓練なんだろう。
 家にヤモリの赤ちゃんが複数いるらしく遭遇すると、パタパタしながらタンスの影や隙間に逃げていく。捕まえて外に出してやりたいけどこいつらどうせまた入ってくるのではないか。家にいたら虫とか食べてくれるのではないか。と考えて放置してる。ていうか捕まえるのだるい。潰しちゃいそうだし。

 星野源のエッセイ「そして生活はつづく」を読んでいる。
 SNSで星野源の話題を出すとまぁいろんな人がTL上でわちゃわちゃ言い始め、自分もわちゃわちゃ言っているのだが、果たして星野源についてどこまで知っているのかと問われるとそんなに知らない。紅白の時にやらかしたぐらいか(星野源は無関係とみる向きもあるが自分はそれに同意しない。誰が歌うのよっちゅう話よ)、あと広告の件かな。彼の制作する音楽は素晴らしいとのことだが、自分は洋邦問わずあまりポップスに明るくないし、なんだか心理的に遠くで鳴っているように聞こえる。要は好みではないのよね。へーいいね、くらい。なので自分にとって星野源は重要でない音楽を作っており、無配慮で人を踏んでいるミュージシャンという印象である。その星野源が福山雅治のあれやこれやでどうたらこうたらという話題がまた出ており、なんかまぁそろそろ知っておくか(そしてちゃんと批判するか)という感じになった。あとC4P/C4Qの記事で星野源が取り上げられていたのを思い出した。
 ただ前述の通り、彼の音楽は好みではない、好みではない音楽を聴くのは苦痛なので、エッセイを読んでいるというわけ。いまのところ全然面白くないし、以下の引用部分ははっきりと不快でしたね。DVは暴力で相手を支配する行為なんだから人は不幸でも幸せを見つけるみたいな話に一般化すんなよ。こういうとこだよ。でもまぁ2000年代後半ってこういう文章溢れていた気がする。
「知人に、付き合っている彼氏から執拗な暴力を受けている女の子がいる。友人たちから事あるごとに「早く別れなさい」と言われるほど、高いレベルの DVだそうだ。  私がみんなと同じように「そんなに大変なら別れちゃえばいいのに」と言ったときの、彼女の言葉はこうだった。「だって私しか彼を更生させてあげられないもん」  そう言った彼女の目には、諦めと、無駄に強い自信があった。「でも、暴力ふるうとき以外は本当に、本当に優しいんだよ。この世にこんなに優しい人がいるのかってくらい優しいの」  書いているだけでしょんぼりしてしまう台詞ではあるのだが、こういう言葉を聞くと、本当に不幸な人なんていないのではないかと思えてくる。人間はどんな状態であろうと、その中での幸せを無理矢理にでも探し出し、それを糧に生きてゆく。」—『そして生活はつづく (文春文庫)』星野 源著 https://a.co/fnyAZm2
 星野源のエッセイはいまのところまったく面白くないが、「エッセイを読む」という行為自体はとても面白いなぁと思った。いろんな人のエッセイを読んで怒ったり笑ったりしようと思う。