ヴァージニア・ウルフの「燈台へ」(グーテンベルク21刊行)を読んでいる。岩波文庫版だと題から旧字体が消えて「灯台へ」となっているが、出版されたのは岩波文庫版が先。まだ途中までしか読んでいない。試しに読書メモを残してみる。
やや軽率かもしれないが、登場人物のラムジー夫人は灯台のメタファーだと思う。夫や子供たちを宥めすかして機嫌をとり(といっても夫のラムジー氏は満足をそういった関係そのものに覚えている節がある)。招待客の男性陣を憐れんだり尊敬したり蔑んだり愛らしく思ったりしている。そのような振る舞いが男たちの態度を導き、空間を完成させる。夫人は時折男たちを照らすのをやめてぼんやりと景色を眺める。その態度に茫洋を感じてラムジー氏は嫌がる。ラムジー夫人を灯台とするなら、灯台守は末息子のジェームズだろう。彼はラムジー夫人の庇護を受けながら(無意識に)彼女の精神的ケアをしているように思える。
ここまで書いて、もしかするとラムジー氏が灯台で、ラムジー夫人は灯台守かもしれないと思ったが、それにしては夫以外の世話を焼くことに熱をあげているので、思いつきとしてだけ書いておく。
注意としてラムジー夫人が灯台、そして夫と招待客の男たちを船とするメタファーはあくまでも両者でのみ成り立つメタファーであって、作品を一貫するものではない。この関係性を俯瞰しているのが招待客で女性画家のリリー・ブリスコウで、彼女とラムジー夫人の関係は灯台と船ではない。メタファーは見つけられなかった。リリーは独身で、ラムジー夫人の世話焼きをやや批判的に捉えている。しかし、社会が求める(そしてラムジー夫人が理想とする)女性としての役割、それは結婚して家庭を持つことだったりを果たしていない自分と比較して、羨望に似た感情を抱いている。リリーとラムジー夫人はそれぞれ作者を投影したものかもしれない。
リリーと別の招待客のウィリアム・パンクスの関係は自分にとって興味深い。ウィリアム・パンクスはリリーに対して紳士的な振る舞いを徹底しているように見える。しかし、彼が無邪気にリリーの絵について言及したとき、一瞬だがリリーが萎れた。その後にリリーはパンクスと「親密さを深く分け合った」と感じていて、女性は男性との関わるにつれて芸術的な感性を失っていく様を書いているように思うが。これは正確に捉えているとは言い難い。執筆された時代背景や作者のプロフィールに理解の余地を見つけたい。